快適な現場というのはどういうものなのか。快適な現場にするにはどうすればいいのか。そこに「プラス」すべきことはどういったことなのか。数多くの経営者の共創場活軍師として活躍し、現場を知り抜く株式会社ここはつ代表、西村統行(にしむら・のりゆき)さんにその真髄を訊く。第1回(全3回)。

 

西村統行「整理、整頓、清掃に『挨拶』をプラスすると現場は変わる」【現場を知る賢者インタビュー】第2回

西村統行「快適な現場では、人と人とがつながっていく」【現場を知る賢者インタビュー】第3回

 

【Profile】

西村統行(にしむら・のりゆき)/株式会社ここはつ代表、共創場活軍師。1961年三重県生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。株式会社リクルートを経て、多くの企業の経営に関わり育ててきた。

 

生産性が低くても快適な現場はあるのか?

 

――― 一言で快適な現場といっても、それぞれの立場からの快適さというものがあるようにも思えます。たとえば、単純にチームの上司と部下では違いがあるかもしれませんし、経営者と労働者でも違うと思うのですがいかがですか。

 

企業というのは、どのような業種にせよ生産活動をやっているわけじゃないですか。快適かどうかというのは、その企業の一つの目標や目的のために快適であるか、そうでないかが決められる。規定されるものなのではないかと思っています。

それは言い換えると、生産性が高い現場なのかどうかということが、「快適さ」という抽象的な概念を示す大きな基準になるのではないかと思います。

たとえば、生産性が低くても快適な現場があるのかという疑問を考えてみましょうか。私は、そのような現場はなくて、「生産性が上がっている」とか、「生産性が改善されている」という現場が、快適な現場である重要な要素じゃないかなという風には考えています。反対に、生産性が高くて快適ではない現場というのも基本的にはないと思います。

 

――― 生産性が高いということと、快適であるということはほぼイコールであると言うことですか?

 

生産性と快適さというのは、因果関係ではなく相関関係にあると思います。だから、快適さということを考えたとき、生産性を上げるためにはどうしたらいいのかということをきっかけに考えていけば、答えにたどりつきやすいのではないでしょうか。

たとえば、人の動線がスムーズであるとか、道具が整理されていて取り出しやすいとか、きれいにメンテナンスしてあるとか、掃除してあるとかといったことですね。

こうして透明性というか、普段から整理してキレイにしていると、いつもと違う違和感に気がつきやすかったり、ミスがはっきりと目立ちやすかったりとか、生産性を下げそうな原因に気づきやすくなるわけですね。いわゆる整理整頓は、快適な現場を作る上でとても大切です。

これについては、あとで具体例もお話したいと思いますが、ただちょっと想像してみてください。直感的に「汚い現場」ってどうですか?

 

――― 確かに、汚い現場を快適そうだとは思えないかもしれません。

 

ですよね。やっぱり汚い現場はダメですよ。これって理屈じゃなくて、「ああ、ダメな現場だな」って感じるのだと思います。これは私のような組織の外部から来た人はもちろんですが、中にいる人もそう感じているのではないでしょうか。そして、それがやる気の低下や、ひいては生産性の低下につながってしまうという負のサイクルにつながっていくような気がしますよね。

 

現場におけるコミュニケーションの質

 

一方で、現場が汚い原因というのは、おそらくそこまで手が回らないとか、自分の仕事ではないからとか、ある種の無関心や他人事感が現場にあるからだと思います。あと、当然かかえる仕事が少ないほうが楽になる。現場で働く人によっては「楽な現場」がイコール「快適な現場」なように感じられることもあるでしょう。でも感覚的にはそうであっても、それは本当の意味での快適な現場とは違います。

いうまでもありませんが仕事というのは一人でできることではありません。仕事というのはチームやグループでやっていることなので、たとえばコミュニケーションがとりやすいだとか、物が取り出しやすいとか、もっといえば人がやっていることなので人間工学的に、つまり人が自然に動きやすいか、使いやすいか、働きやすい環境がとことん追求されているかが、快適な現場には必要になると思います。

そういった意味で、「ここは快適な現場なのだろうな」というのは、まずは現場がキレイであることはすごくわかりやすい基準になると思いますね。そして、その次がコミュニケーションをとりやすいか、とれているかということが大きいと思いますね。

 

――― そんなにコミュニケーションがとれていない現場は多いですか?

 

多いですね。その原因はいくつかあるとは思いますが、まず僕がいっているコミュニケーションというのは、チャットやメールを使ったいわゆる報・連・相のようなことをいっているのではなくて、フェイス・トゥ・フェイスなコミュニケーションのことです。

チャットやメールといったネットでのコミュニケーションというのは便利な部分もあるのですが、その分フェイス・トゥ・フェイスでコミュニケーションをとらなくても大丈夫になってしまっていますよね。

たしかにスマートフォンも普及して、いつでも連絡がとれる環境にはなっているのですけど、本当に必要なコミュニケーションというのは、伝えたいことや、教わりたいこと、伝える必要があることといった、必須事項の部分の他に、その周辺の情報だとか、些細な細かな情報というのは、ネットでのコミュニケーションからはこぼれ落ちてしまう部分だと思います。「誰々が今日は体調わるそうだった」とか、「誰々はこんなものが好き」だとか、そういったことまでも情報として共有されているのが快適な現場を作る上では欠かせないことだと思います。

 

現場に雑談が必要な理由

 

たとえば私の知っているとある現場では、午前と午後にお茶とお菓子の時間を行程の中に入れています。そこでの、いわゆるダベリングという雑談時間がスケジュールに入っていて、そういった時間を作ることで施工がスムーズになったといいます。

それはどういうことかというと、何かを作る上ではチームで作るというのが前提ではあるのですが、一方で実際の作業は縦割りのセクションごとに行われることがほとんどでしょう。たとえば家を建てるのであれば、大工さんや鳶職さんもいれば、電気やガス、水まわりなどの専門の人たちが担当します。そして、それは必ずしも同じ会社の同僚でないこともあるわけですし、初めて一緒に仕事する人である場合もあるわけです。

このように違った職種の人たちが交わっていくのが家を建てるということであるならば、違った職種の人たちがコミュニケーションの部分でも交わっていくほど、それはよい仕事になっていくのではないかと思いますし、仕事がスムーズになった原因。つまり快適な現場となった原因なのだと思います。

 

――― 組織というのは、どうしてもセクションごとに動いてしまうという部分はありますし、昔からその問題は言われ続けているように思います。それだけ解決が難しい課題なのでしょうか。

 

それは、セクションとか組織が構造体である一方で、それを構成する人たちは、人間であり生命体であるからだと思います。組織で動いているつもりでも、実際は生命で動いているのが人なのです。

「ビトウィーン・ザ・ライン」、行間を読むとか言外の意味を掴むということがコミュニケーションでは大事で、コンピューターのように言った、言わないという「0か、1か」みたいなところでは生きていなくて、語感や態度なんかから色々なビトウィーン・ザ・ラインを読み取っているわけです。その雰囲気だったり感覚といったところから得られる暗黙知を共有するためにも、いわゆる生命体としての人と人とが交わることがないと、本当のコミュニケーションにはならないんじゃないかと思ったりしますね。

特に今の時代は個人主義になっているといわれますし、加えてツールの発達やコミュニケーションの形が変わってきたからというのもあると思います。人同士がぶつかりあったりするようなコミュニケーションは少なくなっています。ただ、これはもしかしたら社会が成熟していく過程で必要なステップなのかもしれませんので、一概に悪いこととはいえないのですが、現象としていまさまざまな現場でそのようなことがあるのは事実だと思います。

 

(取材/構成 テルイコウスケ)

 

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